ようこそおいで下さいました。
坂東流家元・坂東巳之助です。
家元を継承してまだ日も浅く、まだまだ若輩の身ではありますが、たくさんの方々のお力添えをいただきながら、精進を重ねていく心でおります。
そうした精進の日々のなかで思うのは、踊りを踊る・観るということには、言い様のない楽しさ・気持ちよさが溢れているということです。
この楽しさをより多くの人に知って欲しい、伝えたい。その気持ちが私の背中を押してくれます。
亡父の生前のご挨拶にもあります通り、日本舞踊は決して小難しいものではありません。楽しんでいるうちに自然と心を豊かにしてくれる、素敵なものです。
これから日本舞踊を始めてみようという方や、日本舞踊を観てみようという方にとって当流・当サイトが一助となれれば幸いです。
先代、十世 坂東三津五郎からのメッセージ
「日本舞踊」と聞いてもあまりピンと来ないという方もあるでしょうし、興味はあってもどのように学んでいいのか分からな い、またお金がかかりそうだ、と思っていらっしゃる方も多いと思います。
私はこの家に生まれましたから、跡取りとして小さい頃から稽古をし、また歌舞伎の舞台でも修業を重ねて参りました。でも若い頃は、「自分はちゃんと踊れているのだろうか・・・」と、それをどこかでチェックされているような気がして、完全に心を解放して踊れてはいなかったように思います。
しかし最近では踊るということが本当に楽しく感じるようになってまいりました。「踊る」ということの究極的な魅力は、口でしゃべる言葉ではなく、自分の体が感情を表現し、体が言葉以上にしゃべれるようになる、ということにあると思います。
最近、芝居は分かるけれども踊りはよく分からない、という若い人の言葉を耳にします。きっと目の前の踊りを一生懸命理解しようとしているのだと思います。ところが、踊りはもともと理解するようにできてはいません。いい音楽に乗って、体がじつにスムーズに動き、「ああ楽しかった、すてきなものを見た、とても豊かな時間だった」と感じていただければいいのです。目の前に広げられる豊かな空間を感じ取ってくださればそれでいいのです。
盆踊りを踊っている人でも、阿波踊りを踊っている人でも、それを理解してもらおうと踊っている人はいないと思います。踊っていること自体が楽しいのです。皆さんも、嬉しい事が起こったとき、思わず体が踊るように動いてしまった、という経験をお持ちだと思います。だから基本的には「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々・・」という姿勢で良いと私は思っています。
ただ、舞台の上で人に見せる、という前提で踊る場合、自分だけが楽しかったという訳にはいきません。ご覧いただだいた方に、「良かった、素晴らしかった」と思っていただくためには、自分の体を鍛え、技術を磨き、内面を充実させていかなくてはなりません。
そのために我々は今も修業を続けています。そして多くの仲間たちと、苦しさを超えたときにのみ味わえる、本当に楽しい時間を共有しています。皆さんにもその魅力を、自分が踊るということで、ぜひ味わっていただきたいですし、また踊れないという方は、踊りを見る楽しさをぜひ見つけていただきたいと思います。
とにかくまず日本舞踊に触れてみてください。そして日本人が大切にしてきた感性、美意識、自然に対する愛情などを、そのなかから感じ取ってください。きっと今までにない、日本に対する新しい発見が生まれると思います。